母の昔話(イントロ)

おやき

2010年12月09日 05:31

きのうは定休日。本当に久しぶりに家でゆっくりと仕事ができる日、だったはずなんですが、タガが緩んでぼ~っとしてるだけで終わったお休みでした。こんな日もアリ。

さて、母の昔話はいろいろありますが、今朝はその母を生んだ祖母の話を少し。この祖母をなくして母はなし。わたしが心から尊敬している祖母。

瓦屋の娘(次女、わたしも次女)に生まれた祖母は、明治37年生まれ。

当時女性が東京へ勉強に行くなんて、とんでもないという時代に東京で設計を勉強した。まさしく「はいからさんが通る」を地でいっていたのだ。

関東大震災の時には早稲田あたりを路面電車に乗っていたらしいから、よくぞ無事でいられたものだと思う。

その祖母は学校(田中角栄さんも卒業した学校だから先輩にあたる)を卒業後、建設省に入省し公共建築物の設計図面を書いていた。いわゆる当時のキャリアウーマンだ。

そのまま祖母が東京にいたなら、今のわたしはいない。

が、故郷の父親からの「見合いに帰ってこい」の手紙ひとつで、荷物をまとめて長野へ帰ってきた。この辺りがさすが明治生まれで、親に逆らうなんてもってのほかだった。

そして嫁入り先で待っていたのが農業。

鍬や鎌なんて持ったことのない祖母が、田んぼや畑を祖父と一緒に耕し、三男二女を儲け、お蚕さんを飼い、昼に夜にと働き続けた。

それはひとえに曾祖父が作った借金のために。

その曾祖父は、長野県庁から来た「お嫁さんに県庁の建設部で働いて欲しい」という依頼を「嫁を外で働かせるなんてもってのほか」と玄関先で追い返したという。

祖母が県で働いていたら借金なんてすぐに返せたのに、と母は言う。

そんな祖母から長女として生まれた母です。。。


今朝は「母の昔話」のイントロでした


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